リアル年表(1998~2010)
記述し忘れの事象で思い出したのがあったら追記します
1998年 (0歳)
産まれる(後に産まなきゃよかったと言われる)
1999~2000年辺り? (1~2歳)
当時住んでいたマンションの和室の敷居ではいはいミスって顎下を縫う羽目になる
(人生初縫合)
肺炎になる
これに関しては幼稚園前~幼稚園だったくらいのあやふやな期間で覚えてない
体感1年くらい入院生活をしていた気がする
ちょうどはいはい→歩く為の足の成長の時期にベッドの上だったので膝の関節がおかしいのはこのせいだと思われる 入院中に歩く為のリハビリも平行してやっていた
2001~2003年 (3~5歳)
幼稚園時代 女子とばかり遊んでいたので幼稚園通していじめられる
特によくいじめてきていた武田くんに左腕をめちゃくちゃ噛まれる
(子供の頃のあとなので左腕に赤い斑点が残ってる)
いじめは男子が主だったので女子とおままごとして過ごしていた
親が離婚する
その時はよく分からなかったけどまだ遊んでくれていて家にいる方の母親を選んだ
父親は後述する祖父の会社で形だけの役職だったらしい(母親談なので真否は分からない)から母親のほうがマシだったかもしれない(DVもあるし)(結局どっちでも暴力はある)
当時の自分は『名字って変わるんだおもしれー!新しく漢字で書き方覚えなきゃ』って思って内心わくわくしてた
2004~2006年 (6~8歳)
小学生1~3年生 祖父が会社倒産させる
会社の経営が回ってなかったので倒産前から祖母の貯金で従業員に給料を払っていた
祖父の変な話で言うと母親のお金で本を出版したりしていたりしていたくらい害悪
会社潰した結果、合計5000万円の祖母への借金と離婚(預金3000万の通帳が一気に500円くらいになってるのは何度も見せてもらったことがあるので嘘ではないっぽい)
当然ながら祖母はいろいろ(山とか)手放す事になって一緒に住み始める事になる
(ちゃんと一緒に住み始めたのは小5だけどややこしいのでこっちに纏めた)
いじめられる、期間は2~4年生まで(この時も女子と遊んでいたり+泣き虫だったなど)
いい意味でも悪い意味でも目立っていたかもしれない
父親が会いに来る 恐らく小学3~4年生時代
公園で当時同じマンションに住んでいた同級生の子と下校してる最中、マンション前のゾウ公園の象徴であるゾウの滑り台にその子が石を投げたら石が割れて自分の唇らへんにあたって出血する事になった(結構血が出てた)
その時に公園の入り口に停まっていた黒い外車から知らない人が出てきて血を止めるためにハンカチ当ててくれて『いい人もいるもんだな』って思ってたら「自分のこと誰か分かる?」って言われてそんな事言うやつ芸能人か知人しかいないだろって思ったらうろ覚えの父親に似てるなって思って『とうさん?』って言ったら「そうだよ」って言ってた
当時から父親の悪口はめちゃくちゃ母親に聞かされていたので関係は取り持てないと理解していたしややこしくなると思ったので深くは何も聞かずに助けてくれてありがとうだけ伝えたら帰っていった(同級生の子は低い階に住んでいたのでその子の親を呼びに行ってくれていた)
ちなみにこの会った話すら話すとキレるだろうなって思うくらい当時から母親はヒステリーしまくっていたので確か中学卒業辺りのまだ機嫌が良さそうな日まで隠してて実は……って話したらその日めちゃくちゃ機嫌悪くなった、最悪
あと多分この一件以降、統合失調?なのか強迫性なのかわかんないけど誰かに見られてるっていう感覚が悪化した(監視されてたりそれこそスナイパーが上のビルから狙ってるんじゃないかとか夜道の物陰に誰か居て刺してきたりするんじゃないかとか)
そんな外出ないからマシだけど夜道とか高いビルがあって精神不安な時期は少し疲れる
数年前にそういう感覚って病名あるんだって知ったので他にもこういうの感じてる人いたんだって新鮮に思った(全然関係ないかもだけど『今これこっちの行動やったら自分の寿命3年縮む』みたいな自分ルール瞬間的に頭に浮かんで一喜一憂するやつも病気のやつだったりするのかな)
2007年~2010年 (9~12歳)
小学生4~6年生 塾に通い始める(四谷大塚系列)
高額な塾だったので小言が増える 恐らく祖父関連で家の貯金が減ったため
自習室でめちゃくちゃ喋っていた(私語禁止)のでよく怒られていた
塾の定期テストで上位を連続で取って140人規模で8人しかいない最上位クラスに編入する(小5の時点で受験対策に移行してるくらいの感じ)
いじめが終わる 小学4年生の時に泣きながら昔信用していた2年生時代の担任に打ち明けて学年集会が行われて主犯格というかメインでいじめていた連中5人が晒し上げされる それ以降タブーとなったのでいじめられることはなくなった
主犯格連中は3ヶ月くらい朝掃除させられてた
左足の膝を7針縫う 人生2回目縫合
レクリエーションの時間に鬼ごっこをしていて体育倉庫の後ろを走り抜けたら金具が尖ってこっちに外れていて通り抜けたら皮膚に掛かって切れた
あまりにもばっさり行き過ぎて皮下見えたりなんなら痛みすらなく血がドバドバ出てた
竹が左中指に刺さる 人生3回目縫合
どこかの水族館の帰りに細い茶色の竹が生えてる植え込みが続いててそこの横を歩いて手を降ったら中指の第二関節に刺さった これはめちゃくちゃ痛かった
腕の骨折る 初骨折
いつものようにゾウ公園で近所の女子4人くらいと遊んでいて、あの有名なゾウ公園のゾウの鼻の部分の滑り台を頭から滑ったら着地と同時に腕ぶつけて骨折した
骨折初めてだったからめちゃくちゃ痛え捻挫とかだと思ってその後痛みに耐えながら1時間くらい鬼ごっことかして遊んで次の日病院行ってレントゲンとったら骨折してた
その頃は何も思っていなかったけど勉強出来たし水泳やってて運動神経も良かったから女子5人グループと遊んでて多分一番モテてた(転校生の平野ちゃんって子は1~3年生色々ごたごたしてた事を知らなかったから抱きついてくるくらい攻めてきてた、女子と遊ぶのが普通過ぎてなんも思ってなかった)
受験勉強の結果が2番目志望
1番いいとこ(附属学校)に落ちて2番目の市立の中学校に行くことになる
今思えばここで2番目に落ちたり1番目に受かっていれば未来は変わっていたかもしれない……と思う
人生でその頃一番の挫折だったので『3年間人生をつぎ込んで結果が伴わない事があるって面白くないな』ってすごい思った 1日中泣いた
親がキレて過呼吸になる (小学生時代全期間)
当時とても何かにつけて厳しかったのでそれこそ勉強や習い事で結果を出さないととても怒っていたし、それで過呼吸になるので
叱られる→自分泣く→親ヒートアップして過呼吸になる→自分がビニール袋で介護する
→親謝る
を月に3回くらいやっていた
習い事で結果を出していない事に怒っていたことが多かった(小学校のテストは間違いようがない為)ので習い事をたまに仮病で休むようになって更にそれにブチ切れるようになった 行くと結果が出てしまって怒るかもしれないので行かないという頭脳派解決だった
この辺から呪いのように『お前が何も出来ていないと他の人間が苦しむ、全てお前のせい』みたいなのを刷り込まれていった気がする
逆に刷り込みがなかったら中高時代にもっと反発していたと思うので精神は擦り切れたがこっちのほうがマシだったのかもしれない
ここらへんが悩みもまだ少ない人生の全盛期
体調悪いしキーボード叩くの疲れたので振り返りここまで
あんまし事件じゃない話は面白くないのでカット(小学校の卒業式に人生で最後のオフラインスマブラ対戦とか小学校の授業中はノート取らずにずっと裏紙に落書きしてたとか家庭科室のネズミ対策期間に裏部屋侵入してトリモチの罠にかかって4~6時限ずっと泣いていて放課後発見されたとか祖父柔道投げして骨折させたとか)
次は2010~2022?暗黒期のリアル年表とインターネット年表(そもそもこっちを書きたかった)
文量多くなるので分けます、いろいろあるし……次もし書いたらですけど……